スポンサードリンク
内省とは、自分の心の中を問い詰めて、本当はどう思っているのか?を、
客観的に見つめようとする態度や行動を表すものです。
この中には二つの要素が含まれています。
まずは、自己の本当の心の中を見つめること、
さらに、それを客観的に観察すること。
どちらも、文字では簡単に書けますが、実際に行うのは難しいです。
ただ、誰かに共感して貰いながらこの行動をすると、
意外にもスンナリ、自分が見えてきて、それを客観視できるようになります。
他者の中に自己を反映するという方法になります。
簡単に言うと、ある女性が恋愛のことで悩んでいたとします。
恋人の自己中心的態度に、自分は愛されているのかどうなのか、
とても不安になっている状態です。
その場合、誰かに相談することによって、起こった事実を見直すことや、
他者が共感して、「そうね。それは辛いわね。」と言われると、
「他の人も同じように感じてくれるのか!」と自分の心の声に素直になったり、
逆に「うちもそういうことあるよ〜。」なんて言われると、
「どこでもあることなのかな?私の考え過ぎなのかな?」と、
自分を客観視しやすくやってくるということです。
やはり、人というのは基本は一人で生きていけない生き物です。
一人ではというのは、経済的にとか、いつも支えられるとか、
そういうことではなく、孤独ではないという意味です。
恋愛をしているのに孤独。
企業で仕事をしているのに孤独。
孫がいるくらいまで年齢を重ねているのに孤独。
心の「ふれあい」が無いというのは、生きていてやはり苦しくなってしまいます。
この「ふれあい」は「共感」とも似ています。
コフートという心理学者は、「共感」によって、絆が生まれると言っているくらいです。
ただ、ここで注意して貰いたいのが、「共感」と「同調」は違うということです。
「共感」は相手の立場になって、共に感じることです。
同じ立場になって考えますが、感じることはそれぞれという事です。
「同調」は同じ立場に立って、同じように感じることです。
「ふれあい」とは、決して同じように感じなくても良いのです。
先ほどのを例にすると、「そうね。それは辛いわね。」の言葉の後に、
「私は気にしないようにしてるわ。」と来ると、「共感」はしていても、
「同調」はしていないということになります。
それでも、心はふれあっているという状態になり、
決して孤独感を味わうことはありません。
自分だけで内省しようとすると、自分の中でぐるぐるになることがありますね。
堂々めぐりの不安や悩みになって、出口が見つからない状態です。
そういう時は、信頼のおける友人などと一緒に内省を手伝ってもらうと、
幾分か、自分の心を中を見やすくなり、客観視しやすくなります。
仕事でも煮詰まることがあります。
これをやっていて、本当に良いのだろうか?
この作業を続けていて、無駄になったりはしないだろうか?
これを他者との「ふれあい」の中で解決しようと思えば、
やはり同じ仕事をしている人に、これこれどう思う?という問いかけの中で、
「共感」して貰えると、自分が今している仕事を納得して行うことが出来たり、
無駄なのなら次の仕事に移行するなり、
仕事ひとつとっても客観視できるようになる訳です。