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浮気の問題にしろ、相手の無責任さを責めるにしろ、
相手のせいにして、人生をやり直す事は大事な事です。
しかし、ここで間違ってはいけないのは、
自分も同じ人間だったことを認識することです。
自分の人生に問題が起きて、あぁ・・・これは、
人間関係がおかしいからだと気付いて、変えようと思うときに肝心なのは、
自分も同じ種類の人間だったんだと気が付くことです。
あなたがそうなので、あなたの周りにそういう人がいるのです。
私は違う!と思ってしまってはダメです。
あなたが誠実で、誰に依存するでもなく、
一人の人間として、現実を見て真っ向勝負で、努力しているのならば、
無責任な人と付き合う事は、現実として無かったのです。
騙されるのにも理由があるのです。
相手の好意を期待して甘えているからです。
自分では努力をせず、誰かが自分を上げてくれるだろうと、
そういう甘えがあるから騙されるんです。
浮気をされて、それでも別れられないのは、
相手に対して、自分を認めて貰えるだろという期待からです。
人に期待をしてはいけないという事ではありません。
そういう悪い人に期待をしても、何も無いどころか、カモにされるだけだという事です。
世の中のすべての人が善人ならば良いのですが、
残念なことに、善人は限られています。人の好意と思っている事が、
実はとんでもない悪意だったという事も少なくないです。
こんな事例をひとつご紹介しましょう。
娘の将来を心配する母親Aさんがおりました。
Aさんは、友人に勧められある宗教に入信します。
この宗教に入りお祈りをしておけば、あなたも娘さんも幸せになれると言われ、
Aさんはすっかり信じてしまいました。
娘にも同じ宗教に入ろうと誘います。
娘は母親が思う宗教なので、善意で入信します。
娘は特別にこの宗教を信じている訳ではありません。
母親が望むのなら、入信しても差し支えないだろう、そう思って入信したのでした。
ある時、娘の方に問題が起きました。
会社の倒産です。
娘は仕事を失い、次の就職を探しますが、なかなか良い就職先が見つかりません。
母親のAさんはただお祈りしておけば大丈夫と言います。
さて、問題がどこにあるかわかりますか?
善意と悪意の区別付きますか?
どちらが善意で悪意なのか?
どちらもパッと見た感じ、善意のように思えます。
しかし、誠実で真面目な人が見ると、このお母さん、娘の為と言いながら、
娘の為にしていることなんて、何もないじゃないか!
と気が付きます。
実は私も以前なら、どちらも善意ある行為だと、思っていたと思います。
では、解説していきましょう。
母親のAさんが宗教に入信するのは別に問題ないのです。
お祈りしていれば、幸せになれると思っているのは、別に問題ではありません。
しかし、娘さんの勤めていた会社が倒産して、
新しい仕事がなかなか見つからない時に、お祈りはないでしょう?って事です。
本当に、娘の就職が心配であるならば、
自分の知り合いに聞いてみるとか、就職情報を集めてみるとかするはずなんです。
娘さんは善意で宗教に入信しましたが、
娘さんも、信じていないならハッキリと断るべきでした。
良い顔をしても、このAさんのような人には、その善意は全く伝わりません。
だって、母親のAさんは、娘の為と思っているのです、
それを断るとは、親不幸だ!と逆に思うでしょうから。
どんなに小さな事であっても、実際に具体的に、
『何か』をしてくれた人は誠実な人です。
しかし、偉そうなことを言うだけ言って、
具体的には何もしてくれない人は不誠実な人です。
例えば、先ほどの母親Aさんと娘さんを例にするならば、
母親Aさんが、実際に具体的に就職口を探して、
ここはどう?とか、ここは待遇も良さそうよ。
知り合いの会社で事務員募集してたから聞いてみたわよ。
という会話になっていれば、Aさんは誠実な母親です。
あなたの周りに口先だけの人はいませんか?
何かを相談したら、口先だけで「これはこうすると良い」とか、
「これならこの方が良い」とか言って、具体的に何もしない人ばかりではないですか?
実際に、一緒に探しましょう!とか、手伝いましょう!とか、
紹介しましょう!とか、具体的に動いてくれる人はいますか?
口先だけの人を良い人だと思わないで下さい。
あなたも同じような人になってしまいます。
そして、本当に誠実な人が、あなたの周りからいなくなってしまいます。
口先だけで、私は有名な誰誰を知ってる!と言う人から、
その人を紹介して貰えることは殆どありません。
そして、そういう人は簡単に誰誰を紹介してくれ!
とあたなに言ってくるでしょう。
不誠実な人はどこにでもいます。
そして、誠実な人を利用しようと考えています。
付き合う人が誠実か、不誠実かで、あなたの人生も変わってしまいます。